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【連載第1回】東京の声だけでは、国とは話せない

【連載第1回】東京の声だけでは、国とは話せない

公開日:2026.09.04

更新日:2026.09.04

食団連はなぜ、はじめから“地方”を見ていたのか

食産業人メディア「Food is People」の第2弾は、食団連の専務理事・髙橋英樹氏。聞き手は前回に続き、株式会社てっぺん代表取締役で居酒屋甲子園9代目理事長の和田裕直氏です。全3回の第1回は、食団連と日本飲食業経営審議会という二つの団体が同時に立ち上がった2021年の話から。「前に出るのは嫌です」と言った男が、なぜ業界を束ねる実務の責任者になったのか。

二つの団体は、同時に立ち上がった

和田:今後、食団連の理事も新しく参加される方や、次にバトンを受け取る方がたくさん出てくると思います。この団体をどういう人たちが、どんな思いで立ち上げて、どうバトンをつないできたのか。新しく入られる方にとっての“教科書”のような記録になればと思っています。まずは、食団連との出会いから聞かせてください。

髙橋専務理事:組織的にちょっとややこしいのが、食団連と審議会(日本飲食業経営審議会)が同時に立ち上がったということなんです。

きっかけは、コロナ禍で「外食産業の声」をメディアにドンと出したときですね[^1]。あのときに連絡をもらって、「北海道とか九州とか、地方の飲食の子たちに声をかけてくれ」と。それが多分いちばん最初でした。

そのとき冗談まじりに「髙橋さんも顔を出してください」と言われたんですが、僕は前に出るのがちょっと嫌でね。ちょうど同じ頃、東京都議選があって「髙橋さん、都議選に出てください」なんてことも言われた。簡単に言うなと、人の人生を(笑)。ただ、やっぱり何か動かなあかんな、と思ったのがあのときでした。

「もっと大事なのは、多分、地方です」

髙橋専務理事:食団連をつくる構想がある中で、僕はこう言ったんです。「もっと大事なのは、多分、地方だと思います」と。

東京は情報も集まっているし、まあまあ厳しいとはいえ補助金も出ていた。地方との格差はどんどん広がる。だったら地方を考えなくちゃいけない。じゃあ僕は、その地方をまとめる団体を自分で立ち上げるので、地方をまとめる団体と食団連の二本立てでいきましょう、と。これが今の支部の前身です。

それで日本飲食業経営審議会という団体をつくって、大阪で設立の総会をやった[^2]。大阪、北海道と立ち上げていって、本部は東京に置く。そういう形が最初でした。

理由ははっきりしています。対政府と話をするのに東京の状況だけを伝えるんだったら、それは東京都議でいいわけですよ。全国の声を集めるからこそ、政府と話ができる。だから、できるだけ地方の声を集めましょうと。

和田:僕も長野出身なので、その感覚はよく分かります。地方の店が声を上げる先がない、というのは長く続いてきた話ですよね。

「居酒屋甲子園OB会」にしないための人選

髙橋専務理事:もうひとつ気をつけたのが、メンバーです。全部を僕が動かすとなると「また居酒屋甲子園がやってる」と言われるのも良くないな、と。だから今まで関係のあったメンバーではないメンバーでスタートアップしなくちゃいけないと思っていました。

実は当時、深見(浩一)にも相談はしていたんです。ただ、僕と深見が並ぶと、当時の居酒屋甲子園の理事長と専務理事がやることになって「居酒屋甲子園OB会」になってしまう。だから「ちょっと出るのを待っといてくれ」と言って、いろんな人を、パーツを集めていった。

その中の一人が前川(剛)さんです。紹介いただいて、「ちょっとおもろい人やな」と。今までにないキャラなんですよ。元ロイヤルで、今はオフィシャルパートナー部会の部会長をやってもらっています。ロイヤル出身なので、付き合っている人たちが居酒屋甲子園とは全然違う。いわゆる外食産業の常識って、僕らは居酒屋しか知らないから、その世界が全部だと思っていた。そこを開いてもらった。SNSで見つけて声をかけたのが、今のデジタル部会長の山澤(修平)だったりもします。

食団連のほうでは、前に出るのは秋元さんもいる、佐藤さんもいる、(山下)春幸さんもいる。だから僕は「裏方をやりますよ」という形で、事務局長としてジョインしました[^3]。

会長職を、あえて“不在”にした理由

和田:創業の会長は服部先生になるんですよね。そこから今の体制になるまでのストーリーもぜひ。

髙橋専務理事:まず前提として、今、食団連に会長職はありません[^4]。

会長がこういう団体をまとめるとき、たとえば佐藤さんが会長だったら多分まとまっていない。髙橋英樹でも秋元さんでも、まとまっていないと思いますよ。「なんであいつがトップやねん」という声がいちばん出る。どの業界に対しても公平で、業界を俯瞰して見ている人、となったので、服部(幸應)さんに白羽の矢が立ったわけです。

服部さんはあまり多くを語られる方ではなかったけれど、ずっと言われていた言葉が「食の文化を未来につぐ」と「食育」でした。その「食」には二つある。ひとつは食べる食。もうひとつはシェフたち、職人たちの職。だから、食べることと人のことを未来につないでいく。それが今も、そのまま食団連のミッションになっているんです[^5]。

和田:ミッション・ビジョン・バリューは、最初からあったわけではないんですね。

髙橋専務理事:なかったんです。できたのは、コロナが明けて「食団連解散」という話が出て、服部先生が亡くなられた後[^6]。「大まかな役割は終えた、コロナも終わったので解散してもいいんじゃないか」と。

そのとき執行部で集まって、僕はこう言いました。「これだけまとまって動けたことは、多分、奇跡です」と。コロナがなかったら多分まとまっていない。だからこれは継続させるべきだと。

それで当時副会長だった佐藤さんに連絡して、「この団体をどうするのか。やっぱり顔がいります。佐藤さん、会長をやってくれないですか」と。そうしたら速攻で断られた(笑)。「自分がやることで反発する人たちも出てくるので、俺じゃ無理だ」と。同じ理由です。ただ、「決まるまでの会長代行なら受ける」と言っていただいて、そこから第2の創業が始まった。

髙橋専務理事:ただ、会長代行という形でも、どこへ行っても会の代表であることに変わりはない。それなら会長職と代表理事を分けましょうと。組織を束ねて動かすのが代表理事、シンボリックな会長は不在にしましょう、という形に組織がなっていったんです。服部さんが名誉会長で、会長職は不在。今もその状態です。

いま代表理事として佐藤さんが背負っているのは、「作りたい世界を食団連の傘下に置きたい」といった話では全くなくて、外食産業の声を届けること、まとめること。それだけです。僕が「佐藤さんで良かったな」と思うのは、いちばん物事を公平に見ているから。自分の会社が得をするとか、そんな物差しで見ていないので。

専務理事とは、業界の“中間管理職”である

和田:髙橋さんが担われている専務理事という役職では、いまどんな動きをされているんですか。

髙橋専務理事:専務理事は、立場が上とかではなくて実務的な責任者です。だからやることは、要するに中間管理職なんですよ。会員団体さんの声も聞かなくちゃいけないし、理事の声も聞かなくちゃいけない。

直近で言えば、特定技能が止まったとき。会員団体さんからは「これは外食産業が困るから、開けるべきだと言ってくれ」と言われます。オフィシャルパートナーからも言われる。でも、それが消費者、いわゆる国民にとっていいことなのか。国にとってメリットがあるのか。もちろん外食産業にメリットはあるのか。このバランスを取っていくには、少し俯瞰した目で見なくちゃいけないんだろうなと。

理事の中にも「もっと声を上げるべきだ」という人はいます。皆さんボランティアでやってくださっているので、どうしても業界のメリットが中心になってくる。でも、それだけでは社会的に認められないので、外食産業の地位向上にはならない。食団連は、既得権をつくるためにある団体ではないので。

そういう意味で、今すごく良くなっているのは、オフィシャルパートナーの方々がそれぞれの部会に入ってきてくださって、それぞれの見識と知識でものを言ってくださっていること。これが今、いちばんいい形だと思います。

和田:会社で言えば、社員の話を聞いて、社長の話も聞いて、ですね。週に何回ぐらい霞が関に行かれるんですか。

髙橋専務理事:行くときは重なるんですよ。農水省に行って、1時間空くから日比谷公園でオンライン会議、タリーズでオンライン会議をして経産省に行く、みたいな日もある。入管に行かなくちゃいけない日もある。

取材を終えて(和田)

「前に出るのは嫌です」と言い続けてきた人が、いま業界の実務をいちばん背負っている。その順番の逆転こそが、食団連という組織の性格を表しているように思いました。会長職をあえて空席にしておくという判断も、団体を「誰かのもの」にしないための設計です。次回は、その髙橋さんの原点──16歳の8月31日から始まった、一冊のノートの話を伺います。

出典・参考文献