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【連載第2回】16歳の8月31日から、俺は飲食人になった

【連載第2回】16歳の8月31日から、俺は飲食人になった

公開日:2026.09.07

更新日:2026.09.04

一冊のノートと、街の明かりをつくるという仕事

全3回の第2回。福岡で生まれ、名古屋、大阪、神戸、そして広島・福山へ。中卒で「唯一拾ってくれた」飲食の世界で、髙橋英樹氏は何を掴んだのか。給料6万5千円の板前が帳面を持って女将のもとへ行った日の話から、地域の食文化と飲食人の役割へと話は広がります。聞き手は居酒屋甲子園9代目理事長・和田裕直氏。

唯一、拾ってくれたのが飲食だった

和田:髙橋さんが飲食に足を突っ込み始めたご自身のストーリーから聞かせてください。

髙橋専務理事:もともと外食が近い環境で育ったというのはあります。中学生の頃からアルバイトをしていて、それが僕の社会人デビュー。ただ正直、あんまり楽しい仕事じゃなかったんですよ。お金が必要で、働かせてくれるならどこでも良かったので。

学校の先生になろうという夢はあったんです。この高校に行ってこの大学に行けば、というストーリーもあった。でもエネルギーが余ってるから、遊ぶことが中心になる。アルバイトしたお金もあるし、友達はバイクを買えないけど、僕はバイトしてるからすぐ買えるわけです。結局それで高校をやめてしまう。

やめたら就職なんかない。最初は名古屋の自動車工場の季節工に、地元の先輩に友達と送り込まれました。それを4カ月やって大阪に行く。大阪でも中卒だし、やんちゃな感じやから、どこも就職させてくれない。そんな中で唯一、その飲食の会社だけが拾ってくれたんです。

とはいえ、飲食をやりたいわけじゃない。この世界を目指すなんて気持ちは一切ないから、1年ぐらいは、ほぼ毎日遅刻するし、早退もするし、疲れたら帰っちゃうし、みたいな生活でした。

焼き鳥屋のカウンターで言われた一言

髙橋専務理事僕は、16歳の8月31日から飲食人を目指すんです。

和田:もう明確に覚えてるんですね。

髙橋専務理事:なんで覚えているかというと──その前の日、仕事が終わって職場の先輩に「飯行くぞ」と連れて行かれた。大阪・京橋の汚い焼き鳥屋のカウンターで、今でも覚えてます、ナス餃子っていうやつ。ナスビにミンチが乗ったやつ。それを食べながら話を聞いていたら、だんだん説教みたいになってきて。

「お前は、やったらできるのに、なんで反発していることが正しいと思ってるのか、カッコつけてるのか分からんけど、いつまでそうしとくんや」と言われた。

それがなんか悔しくて。「そうだな」と思ったんです。学校をやめたのは僕やし、誰かにやめさせられたわけじゃない。大阪に来たのも自分の意思。それなのに、なんでいつまでグズグズ言ってるんやろうと。どうせやるんやったら、この道を極めてみよう。そう思って、板前になることを決めた。

日付まで覚えているのは、その翌日、学生時代にも買ったことがなかったノートを買ったからです。毎日やることを、そこに書いていくようになった。それが十何冊にもなった[^8]。それが板前としての最初のスタートでした。

和田:僕らは、髙橋さんはバチバチの職人の世界で厳しく育ってきた方だと思っていますけど、そういう背景があるわけですね。

給料はなぜ、6万5千円なのか

髙橋専務理事:真面目にやったのは16歳から22ぐらいまでで、そこからマネジメントに変わるんですけど。板前のとき、働けど働けど給料が増えないんですよ。6万5千円

あるとき、自分の給料はなんで6万5千円なんやろうと疑問に思った。当時は原価率という言葉も知らないし、人件費比率も知らない。でも神戸の料理屋にいたので、自分で帳面をつけてみたんです。仕入れがいくらか、売上がいくらか、料理屋だから分かるわけです。今日はいくらの懐石が入って、と。

それをノートに書いて、女将さんのところに行った。先輩たちは休憩時間にパチンコや競馬に行きますけど、僕はそういうのが嫌いで、お茶やお花を習っていたので女将さんと話す時間があったんです。「女将さん、僕の給料ってどうやったら上がるんですか。僕は一生懸命やってます。もっと稼ぎたいんです」と。帳面を見せて「うち、儲かってると思うんです」と。

そうしたら、翌月、給料が倍になった

嘘やん、と。じゃあ今までは何やったんや、と。結果的にその店をやめるときは23ぐらいで、給与は40万ほどもらっていました。そのとき思ったのが、「世の中、黙ってたら搾取されまくりやな」ということ。何も言わなかったら、ずっと6万5千円なんですよ。

だから僕が社長をやったときは、会計は全てオープンにしなくちゃいけないと決めていました。社長が偉いわけじゃないと思っているので。野球だって監督が偉いわけじゃなくて選手がすごいわけで、監督はそれをまとめているだけ。社長は監督なので、偉くないわけです。

15歳で拾ってくれた人と、30年

髙橋専務理事:23か24のときに大阪に戻ります。戻してくれたのが、僕が15歳のときに拾ってくれた会社の専務でした。どこの会社も受け付けてくれなかったのに、その人だけが入れてくれた。その専務から電話がかかってきて、「大阪の飲食店が週休2日制とか、体制を整えるための勉強をしろ」と言われて、板前を強制的にやめさせられるんです(笑)。まあ、お世話になった人なので「分かりました」と。

朝は市場に仕入れに行って、昼は梅田の百貨店の地下で天丼を揚げて、夜は江坂で焼き鳥を焼く。わけの分からん生活でしたけど、料理の経験があるので、どの店舗に行っても売上が上がる。いちばんいいときは前年比200%ぐらい行くので、しょっちゅう社長賞をもらうような感じでした。

そうしたらまた、その専務から電話が来る。「広島で会社をつくるから、こっちに来い」と。むちゃくちゃやなと思いながら、まあ世話になったし、恩返しで行きますわ、と。それが広島・福山での夢笛の創業です[^9]。15歳からずっと一緒なんですよ。創業のときは取締役ですけど、肩書きは料理長でした。

その会社が10年経ったときに債務超過になって、どうにもならない。そこで事業承継を僕がすることになった。

和田:僕らは、髙橋さんは広島生まれ広島育ちだと思っている人も多いくらいですけど、福岡ですもんね。

髙橋専務理事:そう、30年いましたからね。

その会社は、最終的に地元の会社に譲りました。実はその10年前にも社員への承継をやろうとして、失敗しているんです。借金もある会社ですから、誰も継ぎたがらない。借金のない会社なんかないんですけどね。20年やっても後継者は作れなかった。それで、事業を整理しながら引き継いでくれる人に継いでもらおうという形にしました。

名産品を「商品」に変えるのは、飲食の人間の仕事

和田:地域の食文化の発展、ガストロノミーツーリズムと言うんですかね。「この文化は絶対に途切れちゃいけない」という思いが、食団連の皆さんお一人お一人にあると思います。髙橋さんのストーリーもぜひ。

髙橋専務理事:僕はガストロノミーに限らず、地域の資源はすごくたくさんあると思っているんです。

広島の福山という町にいたので、うちは畑もやっていました。「町の名産品は何ですか」と市役所に聞くと「ほうれん草」と言ったりする。でも町ではアスパラを作っている方々がいたり、実は生姜がたくさん取れていたりする。それを商品にして消費者に届けるのは、やっぱり飲食の人がやるべきだと、ずっと思っていました。

だからまちづくり会社を一つ作って、地域の名産品を作っていこうと。福山には福山コーラという炭酸飲料がある。生姜があって炭酸がある、と分かればジンジャーエールを作ればいいと閃くじゃないですか。

逆に、福山の駅でお土産を買おうとしてラベルの裏を見ると、福山の名産品なのに作っているのは長野だったり神奈川だったりする。なんでこんな無駄なことをしているんだろうと。いい和菓子屋さんもたくさんあるのに。みんなが自分さえ儲かればいいとなると、お土産を買っていく意味がなくなってしまう。街の名物は、地元の人たちが横でつながって作るべきなんです。

酒蔵があるなら、酒蔵を通じてできることはたくさんある。福山には保命酒という、養命酒のような薬草の酒があります。ちなみに仁丹の森下(博)さんも、生まれは福山なんですよ[^10]。ただ、それを酒蔵の人が作ると「保命酒」という酒にしかならない。でも、それを使った魚の粕漬けが名物の焼き魚になれば話は変わる。名物や観光は、外食の人たちが作るのがいちばんいいんだろうなと思っています。

「明かり」には、産業をつくる明かりもある

髙橋専務理事:ガストロノミーツーリズム、酒蔵ツーリズム、サイクルツーリズム、いろいろありますけど、ツーリズムには全て食がくっついてくる。景色と体験と食べることは、全て思い出に残ることなので。

自分の街の牛がいちばんうまいと、みんな思っているわけです。でも但馬の牛も美味しい。うちの地元の牛ももちろん美味しい。それをどう売るかは、多分、飲食店にかかっている

観光庁の事業でも昨年やりましたけど、いわゆる街のリーダーシップを取る人間を作るということ。外食産業は街の明かりを作っていると思っているので、キーマンになるのは飲食人なんだろうなと。飲食人は、観光の人たちよりもたくさんの人に会えるし、生産者よりもたくさんの人に会えるわけですから。

だから、ランプとしての明かりもあるけれど、「灯り」には産業をつくる灯りもあると思うんです。地方に行って「この商店街すごいな」と思うところは、そういうキーマンが街のことまで含めてやっている。外食産業はそうあってほしいし、そうあるべきだろうなと思いますね。うちの副代表理事の(山下)春幸さんもそうです。春さんのもとに日本飲食未来の会ができて、東京がまとまっていったわけですから。

和田:僕も長野出身なので、このテンションで「長野でもう一回独立しろ」と言われたら、やっぱり地場のもので長野の居酒屋を作りたいと思いますね。そこを発掘していないというのが、まだまだ飲食店に可能性が残っている領域なのかもしれません。

髙橋専務理事:特に今回、消費税の議論もあるし、最低賃金もこの10月から上がる[^11]。社会保険の加入枠も広がる[^12]。収益環境は厳しい。もちろん企業なので利益は絶対に上げなくてはいけない。それは分かる。

でも、大事なことは元に戻るんです。食べる文化を未来につぐこと。働いている人たちのやりがいを作ること。それが僕たちの大事な仕事だと思うんですよ。評価軸としては「どれだけ儲かるのか」になってしまうのが、残念ながらこの資本主義の世の中ですけど。儲けることは大事だけれど、それが全てではないなと思っています。

取材を終えて(和田)

給料6万5千円の板前が、帳面を持って女将さんのところへ行く。その一歩が「会計は全てオープンにする」という経営姿勢につながっている。順番が逆ではなく、原体験がそのまま思想になっている人なのだと感じました。次回は最終回。外食業法、食産業庁、そしてAI時代に外食が担う役割まで、業界の“これから”を伺います。

出典・参考文献

[^8]: 公開プロフィールでは「16歳の9月1日から1日も欠かさず料理ノートをつけ始め、その会社を辞めるまでに16冊」と紹介されている。社長チップス「一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 髙橋 英樹」 https://shacho-chips.com/cards/h-takahashi/

[^9]: 1994年に有限会社夢笛コーポレーション(現・株式会社夢笛)を設立、2004年に同社代表取締役就任、2024年に代表取締役を辞任。一般社団法人レストランテック協会 メンバー紹介 https://rtmeetup.net/member/hideki-takahashi

[^10]: 森下仁丹の創業者・森下博は1869年、備後国沼隈郡鞆町(現・広島県福山市鞆町)の生まれ。関西大学 泊園書院「森下 博」 https://www.kansai-u.ac.jp/hakuen/about/people_archive/1869-1943.html /保命酒は鞆の浦の伝統的な薬味酒(森下仁丹 プレスリリース) https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000267.000035073.html

[^11]: 2026年7月28日、中央最低賃金審議会は2026年度の引上げ額の目安を全国加重平均55円(1,176円)と取りまとめた。都道府県ごとの答申を経て10月以降順次発効。株式会社HRマネジメント https://www.hrm-co.jp/knowledge/national-minimum-wage/

[^12]: 2026年10月より、短時間労働者の社会保険適用における賃金要件(月額8.8万円以上)が撤廃。企業規模要件も2027年から2035年にかけて段階的に撤廃される。企業法務弁護士ナビ https://houmu-pro.com/legalrevision/384/